明日22日<日>は🌕で休みです。
禁酒法成立前夜
20日から施行される禁酒法を前に18日と19日にはここを最後と色んな人
が飲みに来た。
お陰でビールの在庫が殆ど底を着いた。
以前インドの旅行の途中DRY DAI<禁酒の日>に当たった。
しかし行きつけのレストランでは何とかなるのではと思いビールと頼むと今日はdry dayだからビールは無いけどスペシャルジュースだと有ると
云われそれを頼むと新聞紙に包んだビールとマグカップが出て来て次を頼む時はスペシャルジュースと云ってくれと云われてその通りにした。
この様なおおらかさは日本には望めないだろうな。
昔からイスラムの影響が強かったパキスタンでビールを飲める所を探した事が有る。
やっと探した所で頼むとティーポットに入ったビールが出て来た事が有る。
アフガンの想いで
僕がアフガンに旅したのは40年以上前でその頃旅していた和夫さんからのメールです。
「アフガニスタンはインド以上に予測不能の何が起きるかわからない国。
イランとの国境には10数キロのニュートラルゾーンがあって、その間だけで
バスを独占で運行しているオヤジがいて、運賃は交渉しだい、当然もめる。
着いたヘラートの街は中世のような雰囲気、 銀行に両替に行ったら
ブラックマーケットに行けと銀行員が言った。
そっちのほうがレイトがいいし早いと、要するに仕事をしたくないだけなのだ。
ガキがハッシッシと寄ってくるが、それに手を出すとグルの父親の警察官が
すぐ来てぶつを取り上げて黙っててやるからワイロを出せ、という最強のコンビ。
カブールには旅行者が溢れていて、レストランはステーキが安くて旨かった。
闇屋のオヤジはインドルピーはもちろんソ連のルーブル、シンガポールドルまで
持って、どれに替えるとぶ厚い巨大な財布を出した。
インドルピーには新札と旧札があってレイトが違う、旧札は安いけど果たして
使えるのか、どっちと迫ってくるが判るわけがない、
だがインドではどっちも違いはなく混ざって使われていた。
もう50年近く前の昔のことだけど、1979年にソ連が侵入するまでは
一応なんとか平和な状態だった、同じ年のイラン革命もあって
その後はのんびり旅することはもうできない。
もう50年近くも昔のことだけど、カブールには
テレビの取材
昨日M社のテレビの取材が有った。
西公園ハチミツを使ったメニューの紹介です。
いつもながら取材を受けた後味は良くなく
取材を受けなければ良かったといつも思う。
カブール陥落
70年代のサイゴン陥落を彷彿とさせるカブール陥落だ。
どちらもアメリカの傀儡政権が崩壊して政権側もアメリカも尻尾を巻いて逃げ出した。
20数年前のアフガニスタンは各軍属が割拠して泥沼の内戦状態に陥っていた。
そこにタリバンが登場するとあっという間に全国を統一した。
その会心劇にびっくりしたのを覚えている。
なぜ短期間に全国を統一出来たのか不思議だった?
アフガニスタンに行った事が有る人なら分かるが皆強烈な個性を持ちそれが群雄割拠
しているのだ。
今回も20数年前と同じ様にタリバンはあっという間に全国を統一した、不思議だ。
超デジタル喫茶店に変身
遂に当店もスマホ払いが出来る様になりました。
最も利用出来るのはメルペイとd払いだけ。
使用第一号は三浦さんと佐知子さんが連れて来たアルゼンチン繋がりの
女性でした。
彼女もデジタルは弱いらしく恐る恐る読み取りました。
僕も三浦さんも佐知子さんもスマホを持ってません。
最後にメルペイで支払いが出来た時は皆の歓声が上がりました。
これって俺たちは超アナロググループかな。
名刺が出来る
郁美さんに頼んでいた名刺がやっとあっさりと出来ました。
シンプルで良いデザインで表が日本語、裏に英語で印刷してます。
苗字を最初に名前を後にしてます。
3,4年振りの名刺です。
今まで無くても何とかなったというのは如何に当店の営業力が
欠如していたかを物語っています。
コロナ恐るべし
8月10日鹿内ファミリーが来店する予定でしたがコロナ禍の蔓延の為
残念ながら延期になりました。
その為10日の閉店時間をいつもの火曜日の通り午後6時にします。
フルーツファーム、カトウ
昨夜ウナチャン夫婦が来店。
桃の話をした時彼らは馴染みの果物屋が有り毎年そこから
送って貰うと云う。
彼らが以前福島に赴任していた時知り合った果物生産者が有り
今年もそこから桃を友人達に送った。
僕は桃が好物なのだが今年のアカツキは残念ながら既に終了したそうで
来年に期待したい。
やはり来年迄待てず朝市に行き福島のアカツキを買って来た。
七夕前日の花火
今年は地味に少しだけ打ち上げた様です。
店に居たカップルも音がした時出て行き最後の2発だけ見えたと
云っていた。