株」地球システム科学

現在スーダンには日本企業がトヨタ等4社が進出している。

その一つが「地球システム科学」という壮大な名前を持つ会社だ。

この会社の海外支店がスーダンとボリビアだというマニアックさだ。

ここに7年勤務していたのがアラビアのロレンスを彷彿とさせる

わでぃの貴公子<奇行氏>七條さんだ。

彼はその前にジャイカでモロッコに2年いたのでイスラム世界の

オーソリティーだ。

彼らが成し遂げた最大の功績は「スーダンの水」というスーダン全国

の水事情を網羅した本を作った事で我が七條氏も関わっている。

当店に寄贈されているので興味の有る人は読んで下さい。

砂漠の貴公子も7年にも及ぶスーダン生活で流石に奥さんが黙って

いず退社して大人しく日本に戻っています。

 

「クバーノ」料理

サンモールを南に歩いていたらクバーノ<キューバのサンドイッチ>を

出している店を見つけキューバの旅を懐かしく入ってみた。

ピザやパスタを出すイタリア料理の店だ。

店名は「カオカオ」だ。

手軽に食べられるリーゾナブルな店です。

 

スーダン退避

今スーダンから日本人が多数退避しているが未だ20人程残っているらしい。

多分スーダンに滞在していると思われる毎月スーダンに行っている客の赤座

さんや雑誌「スーダンスキ」の編集をしたうざわさんは大丈夫だろうか。

スーダン人の親切さは強大なのでもし残っても大丈夫だと思うが。

 

上海料理「海麟」

当店の裏の大町通に面した所に上海料理「海麟」が在る。

安くて美味しく地域の人たちのたまり場でもある。

ここの団子は美味だ。

店主は徐さんで先週食べに行った時来年に閉店すると告げられた。

永く懇意にしていたので残念だが元気な内に辞めれて良かった

のだろう。

 

 

 

 

 

北マケドニア通貨「デナル」

細谷さんがエジプト、ギリシャ、北マケドニア、アルバニアを1カ月のんびり

旅行して今日来店した。

スーダン行きも勧めていたが内戦になっていて行かなくて良かった。

この旅行で北マケドニア通貨デナルを両替出来なくて1,500円相当分

持って来た。

誰か北マケドニアに行かれる方に渡したいとの事なのでそちら方面に

行く予定の方は連絡下さい。

中近東の通貨でディナールと呼ばれるのが多いがデナルもそうなのだろう。

 

「アンゴラ」研究

中国人の留学生で国際政治を専攻している修士の学生が来店。

率直な表現をする青年で好感が持てた。

日本人の青年でこのようなタイプが少ないのは何故なのだろう。

その研究対象がアフリカのアンゴラだ。

アンゴラは豊富な資源を持っている為に常に大国に翻弄されて来た歴史

が有りそれを研究している。

モザンビークも興味が有るそうだ。

両方共ポルトガルの植民地なのも理由が有るのだろう。

彼の出身地は西安だ。

西安と云えば秦の始皇帝だが未だ墓が発見されて無い。

思いつくだけでも墓が発見されてない歴史上の有名人はクレオパトラや

チンギス・ハーンが居て色んな人が今も探している。

クレオパトラはエジプトのアレキサンドリア郊外に在ると日本人も探

していている。

チンギス・ハーンも日本人が探していてかなりいい所まで迫っている

らしい。

日本では卑弥呼の墓はどうだろうか?

 

アンナプルナ一周

MHKでアンナプルナ一周の番組をやっていた。

マルシャンデイ川を標高800mの亜熱帯地方から3400mまで只管

5日間掛けてマナンの町まで以前歩いた事が有る。

ジャングルから氷河が望む所までを歩く楽しいトレッキングだった。

それがテレビを観たら何とマナンまで車で行っていた。

又トロンパスを越えたムクチナートからポカラまでも車で行っている。

その間が楽しい所なのにと突っ込みを入れたくなる。

マナンはポカラから見て丁度アンナプルナの裏側に当たる標高3400m

に在るかなり大きな集落で人口も2000人程居そうだ。

これより上には殆ど集落が無い。

目の前にはアンナプルナの氷河が望まれ町の周りにはピンク色の蕎麦畑が

拡がっている。

この町に外国人が初めて訪れたのは1949年と謂われている。

初めて訪れたのはイギリス人なのだがその時マナン人はカメラでこの珍客を

撮ったという。

日本からも其のころ川喜多探検隊が訪れた事が有りそれを記した「ネパール王国探検記」

は家に有ったので子供の頃から夢を膨らませていた。

又マナンは政治的に微妙な位置に在ったのでネパール政府から優遇されていて

海外に商売に行けた。

バンコクで銀細工の卸の店に行くとマナン出身のネパール人が経営していたりして

驚かされる。