餃子娘インドに行った

時々院生で宇都宮出身の女子が酒を飲む為に来店する。

出身地に因んで彼女を餃子娘と称している。

その彼女がインドに10日間行って来た。

コースはデリー、バラナシ、アグラ、ムンバイと忙しい旅だった

が楽しんで帰って来た。

お定まりのバラナシで旅行代理店でぼったくりに会ったりした。

由利ちゃん夫妻来店

美人が入って来たと思ったら変わらない以前のスタッフの由利ちゃんだった。

今は神奈川に住んで居て実家の岩手に法事で帰りその帰りに寄ってくれた。

いつも彼女の知り合いの伊藤さんが駆けつけてくれるが脳梗塞になり宮古に

帰っているそうだ。

巨大な梨を頂いた。

雑誌「旅行人」に陽が当たる

山畑君が卒業する時置いていった旅行人を興味の有る方に

持っていって貰おうと置いているが反応が無い。

それを最近朱里ちゃんが見つけ興奮して読み耽り少しづつ

持っていっている。

一時はバックパッカーの情報誌として持て囃された。

しかしスマホで簡単に旅行情報が手に入る様になり廃刊になった。

この旅行人にスーパーマップシリーズと称して富永省三氏の地図が載って

いるがこれが秀逸でこのページだけ切り取って持っている。

地球の歩き方の適当な地図と異なり正確で恐ろしく緻密だ。

当店には元祖バックパッカーの情報誌「オデッセイ」のバックナンバー

を置いています。

40年前とは思えないマニアックな情報誌で例えばVOL,30ではマリ、ニジェール

特集を組んでいる。

全国の主要常備店リストに当店も載っています。

仙台には4店載っているが現存しているのは当店だけです。

 

餃子のおゆき

餃子の「おゆき」に行った。

国分町の稲荷小路にはおでんの三吉、焼き鳥の黒田、餃子のおゆきという

老舗が有る。

おゆきの餃子定食は餃子10個、テールスープ、麦飯、漬物で1100円。

牛タン定食と被っていて可笑しい。

 

40年前の同窓会

今日40年振りという客がやって来た。

聞けば宮島君、佐藤君、三笠君と学生時代スタッフだった懐かしい名前が出て来た。

スイカちゃんの名前も。

彼らは東北大の法学部の卒業生でクラス45名中20人が秋保温泉に集まるという。

 

懐かしい顔

大手町を自転車で走っていたら向こうから数学者の貴人(奇人?)山崎さんが

やって来て短い挨拶をした。

 

店の近くですれ違った人に声を掛けられた。

その声は戸袋氏だった。

以前近くで「祭り囃子」という江戸風割烹の店をしていてその後沖縄に住んで

いる。

お姉さんが芸能事務所(ジャニーズでは無い)を経営していて芸能界の知り合いが

多い人だ。

モデルの山口小夜子も所属していて連れて来てと懇願したが叶わなかった。

赤塚不二夫とも親しかった様で彼が病床に伏していた時プレゼントすると云って

ステンドグラスでランプを作って持って行った。

石川裕人企画展

文学館で明日から石川裕人企画展が始まる。

昔演劇関係の客が多かった。

スタッフだった石井君は今は大道具を扱う大御所になっている。

さだ吉はテント芝居の音響を担当して全国を廻っていた。

ニュートン事石川氏も顔を見せていた。

其の頃副業で損保の代理店をしていたが石川氏は車の保険に入って

くれて毎年奥さんの絵永けいさんが更改しに来てくれた。

今回の企画展のタイトルが「演劇に愛をこめて」はあまりにもださい。

彼はフェリーニのフアンである。

もっと何かお洒落なタイトルが欲しかった。

それにしても劇作100本は凄い。

大石さんの死去

千賀さんから大石さんが亡くなったとの報を聞いた。

大石さんとは30数年の付き合いだったがあまり良い関係とは

云えなかった。

彼は北見出身で東京のシナリオ作家協会で仕事をしていて有る

理由で仙台に来た。

彼は5回結婚したという恋多き男だ。

仕事柄か芸能界に顔が広い人だった。

大島渚や小津安二郎等の監督や浅川マキや当店でも数回コンサート

をしたあがた森魚等歌手や評論家等と幅広い面識が有った。

彼と知り合ったのは国分町の「のあ座?」という仙台には稀な新宿の

ゴールデン街を思わせるスナックだった。

その店に行くと必ず彼が居た。

その後店はいろは横丁に移転したが変わらず彼は必ず居た。

彼は普段は穏やかだが何かスイッチが入ると激情男に変身する。

有る時いろはの店で飲んでいたら激情女が入って来て今から

国分町のクラブに殴り込みをするから貴方も一緒に来てと懇願

された。

何でも彼女の彼はその店のマネージャーをやっていて最近連れなくて

電話にも出ないので腹が立って今から殴り込みをするという。

酔った勢いでけしかけていたらアンタも来てとなっている所に大石さんが登場。

そして劇作家や裁判の話などで彼女と大石さんの意見が分かれ互いにヒートアップ

して「外に出ろ」となり揉み合いの喧嘩になった。

其の頃のいろは横丁は日曜を開けている店は少なく二人で揉み合ったり閉じている

店のシャッターにぶつかったりと大騒動になりパトカーまでが出動する騒ぎになった。

この事件を僕は「激情男対激情女の対決」と称し皆に話している。

この顛末とその時僕はどの様に振舞ったのかは一切記憶に無い。

昭和の熱い時代の話だ。