北方民族博物館

客の学生が網走に在る北方民族博物館の学芸員に決まった。

網走の冬は厳しく酒を飲むしかないと皆から云われたが、

それは大丈夫そうです。

わでぃで軽くビールを7本飲みもう一軒はしごすると店を出て行った。

ロシア人の女性写真家来店

一見ラテン系の風貌をした40代位の小柄な女性が一人で来店。

話をしたらロシア人だという。

ロシア人に見えないというと彼女はお母さんはロシア人でお父さん

はカザフスタン人という。

産まれ育ったのはロシアのタタール自治共和国でカザンの近くだそうだ。

この地で生まれた有名な詩人の名を云われたが無知な僕はその名を知らなかった。

ドフトエスキーの小説の中で確かカザンの名が出て来た記憶が有るが。

祖先にタタール人の血も入って入ると話していた。

「タタールのくびき」の話をしたら分からなかった。

東京で行われた彼女の個展の作品をスマホで見せられた。

それは写真と雑誌等のコラボを作品に仕上げた物だった。

その中の作品の一つに雑誌の一部が載っていた。

「崖」と云う字が目に留まった。

「崖」と云えば我がフェリーニの作品ではないか。

彼女は分からないと云っていたが。

東京は暑いから仙台に住もうかなと云って青葉城に向かって歩いて行った。

以前にも東京は暑いので釧路に住んでいた事が有るそうだ。

北海道はロシアの風景に似ていて気に入ったそうだ。

自由に生きているアーティストだ。

 

サラさんモンゴルから帰国

子供の頃以来のモンゴルにお母さんとサラさんが行って来た。

お母さんの親戚の家に泊まったり馬やラクダに乗ったりと楽しんで

来たようです。

でも子供の時モンゴルで暮らしその時はモンゴル語を話していたそう

だが今回行ってみたら皆目モンゴル語が分からなかったそうだ。

これはよく聞く話で子供の時習得した言語が大人になって接した時理解

出来ないという。

僕も物心付いた2歳から小3まで九州の長崎で育ちその後一度も長崎に

行って無くもし今長崎に行ったら長崎弁が分かるのか興味を持っている。

 

 

 

アランドロン死す

アランドロンが亡くなったとニュースに出ていた。

古い友人で映画の配給会社を経営している女性が居る。

彼女はフランス語が得意でよくフランス映画を購入していた。

「アランドロンのカザノバ」を日本に配給した事も有りその時

アランドロンと面と向かい話したそうで彼の眼がいかに魅力的

か熱く語ってくれた。

その時彼はヘップバーンの葬式には業界人は殆ど来なかったそうで

自分はああはなりたくないと話していたそうだ。

僕はニュースでヘップバーンの葬式にアランドロンが参列していたのを

見て彼は著名なので映っていて他にも沢山の人たちが参列していたと

思っていた。

果たしてアランドロンの参列者の顔ぶれはどうだろうか。

そう云えばヘップバーンのお兄さんが以前仙台で働いていて彼と同じ

エレベーターに居合わせると職場の人たちとキャーキャー言っていた

という話を聞いた事が有る。